夏川草介の「始まりの木」に「信州随筆」が出てきて、どんな内容なのか気になったので、読んでみました。書店では販売していなかったので、図書館で借りました。書庫の奥から出てきました。「柳田國男集第21巻」に入っています。
民俗学って何?
日本史で過去のことを学ぶと、大きな出来事しか出てきません。中央の政治とか文化とか…でも、多くの日本人の生活や文化はどうなっていたのでしょう。それを知るにはフィールドワークしかありません。各地の文化や習慣、言葉の変遷などから日本人のことを知っていきます。
柳田國男とは?
日本各地の伝承記録を集めて、日本民俗学を確立した人です。日本各地を訪れ、普通の人々の生活や文化を調べ、研究しました。
「信州随筆」
大人になってから、飯田の柳田家の養子になった柳田國男にとって、信州はかなりゆかりのある場所です。
信濃柿のことなど
他の県に「信濃柿」と呼ばれているものがあるが、椎の実のようなものであり、信州にある柿は平柿の形なのに、どういうことかと問いかけています。
他にも名前からその歴史を考えている内容もあります。諏訪神社に祭られているのが甲賀三郎であったりとか…
この「信州随筆」の読解の難しいところは問いかけが多いところです。そして考える道筋を語ります。今風の学問に慣れている私は、結論を探すのですが、なかなか見つかりません。
是より新たに生まれんとする問いの學問が、今まで流行していた答への學問に、取って替らうとする境目になっているやうに思ふ。(本文より)
しだれ櫻の問題
大きな枝垂れ桜が信州に多くあります。寺に枝垂れ桜があるのは、何か理由があるのではないか、と考えています。
これは将来の研究者に引き継ぐそうです。最後に問があります。
一、しだれ櫻の老木を見られたことは無いか。 二、もし有るならその場所はどんな地形であつたか。 三、其の木に名は無かつたか、何か此木に伴う口碑の類は無かつたか。(本文より)
信濃櫻の話
京都の庭に信濃櫻があり、それは、枝垂れ桜であるようです。信濃櫻がなぜ全国に広がっていったか、その理由を考えています。彼はよく仮説を立てます。
私の一つの假定は、神霊が樹に依ること、大空を行くものが地上に降り来らんとするには、特に枝の垂れたる樹を攫むであらうと想像するのが、もとは普通であつたかといふことである。(本文より)
なんじやもんじやの樹
私は、この章が一番面白かったです。なんじやもんじやの樹は、あちこちにあるけれど、別のものを指している、なぜその樹を「なんじやもんじや」と名付けたかを考えています。
現在の物の名は大部分は符号であるけれども、単に之を他の物と差別する為だけならば、さうは付けなかつたらうと思ふやうな、面倒な名が多く遺つて居る。(本文より)
この章も最後に問があります。
御頭の木
御頭の木の樹種は一定していなかったようです。鎌を神木に打ち込む慣行と各地の伝説、諏訪の信仰について考えています。
この章も最後に問があります。
矢立の木
弓矢が射られた木があることから、その地方の習俗と信仰について考えています。
靑へぼの木
「靑へぼ」とは「粟穂稗穂(あわほひえぼ)」のことだと、その習俗を考えています。
地梨と精霊
東筑摩郡の精霊棚に林檎の実が引っ掛けてあるのはなぜかを考えています。林檎が愛用されるようになったのは明治の末頃からなので、それまでは何を使っていたのか、それは地梨ではないかと考えています。盆のお供え物に何らかの意味があるのではないかと問いかけています。
何れの社會に於いても、シンボルは信仰よりも永く生きて居る。かうした一見無意味の慣習が傳はらなかつたら、他に我々は上代の常民が、信じ思ひ且つ感動して居た何物をも知るよすがは無かつたのである。(本文より)
新野の盆踊
新野の盆踊りを見学し、お盆や信仰にに思いを馳せています。
信州の出口入口
柳田氏が、鉄道以外に知っている信州からの出口11を列記しています。そして、信州の文化に思いを馳せています。
ある種の習俗慣習や言語藝術、それを裏打ちして居る信仰なり自然観なりが、遠近ほんの僅かづゝの變化を以て、弘く日本の端々までの一致を見るといふことは、文化史の學徒としては軽視すべき小事ではない。(本文より)
終わりに
「信州随筆」の読解はかなり大変です。読みやすい文章を読み慣れているので、考えながら、遠回りしつつ、想像力を駆使して読むのは骨が折れます。ついネットで検索したりしました。ネットは写真もあって分かりやすかったです。読解力落ちているのを実感しました(^_^;)
柳田國男集全部で31冊あります。かなりの研究量です。日本の文化を調べるとそのぐらいの量になるのでしょう。どんどん廃れていく昔の文化。形を残しておきたいという気持ちなのではないでしょうか。
すぐに答を出すのではなく、色々と調べつつ考えるのが大切だと気づきました
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